父は現在、私達家族が住んでいる地域の班長である。正確には東一組一斑長という。
そのため玄関には「東一組一斑長」という札が下げられている。
この東一組一斑は80軒以上で構成され、二世帯住宅もあるため、世帯数はそれよりさらに多い。
アパートや借家住まいは、全体の半数以上になると母は言う。
班長としての仕事は回覧板や班費の回収、その経理はもちろん、地域の運動会やバーベキュー大会の準備、年に二度の道普請の調整など多岐に渡る。街灯が消えたと班の方から電話を受け、区長か組長へ報告することもあった。
先日班の方が一人亡くなられ、日曜から月曜にかけてお通夜と告別式が行われた。
父はその前日の土曜から月曜まで銀行員である自分の仕事を一切休んで、お通夜と告別式の段取りと役割分担に動いていた。
しかし最近の傾向にもれず、自宅ではなく葬儀場を借りて葬儀を執り行ったので、父の仕事は格段に少なかったという。母がお手伝いで調理場に立つようなことはほとんどなかった。
この街には6か所ほどの葬儀場があるが、私がかつて体験した祖父と祖々母の葬儀は自宅で行われたのを思い出した。今後家族に不幸があった時にどうなるのかはわからない。
お通夜の前日の夕食時に、祖母は亡くなった方の人柄について、私たち孫に話してくれた。
それを聞いた私は、その方の顔をはっきりと思い浮かべることができなかった。
そんな私は、東一組一斑長の息子である。