2010/07/31

河童土器屋

「触媒」(吉村冬彦著)

鴨長明

行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
_____「方丈記」より

カッパドキア

一級建築士試験を終えた私は、試験会場であった静岡県立大学を後にし、JR草薙駅へ向けて歩いていた。
小高い丘を下り、交差点に差し掛かった時、ふと目の前に「河童土器屋」と書かれた変わった看板が現れた。
もしやと思い、行きとは違うその「河童土器屋」がある道へ方向を変え、その店のドアを開けると、そこにはトルコの古い集落である「カッパドキア」の写真が飾られていた。
その店のオーナーは思わずニヤリとした私の顔に気づき、私はその女性へコーヒーを注文する。
「河童土器屋(カッパドキア)」は喫茶店であったのだ。
「カッパドキア」がきっかけとなりオーナーである女性と会話すると、そのオーナーと旦那さんは、実は一度もそこへ訪れたことがないのがわかった。
「学生の頃は主人とカッパドキアに行ってみたいと語っていたけれど、お金が無くて行けなかったの。そしていつのまにか主人とこの店を始めて、お金を貯めることはできたけど、今度は忙しくて結局この歳まで行けずじまいなのよ。だからここに飾られているカッパドキアの写真や置物は、全てお客さんが旅行に行ってプレゼントしてくれたものなの。」
おそらく、この夫婦に纏わりついているものを、「不条理」と呼ぶのだろう。
問題は、この「不条理」が一体悲劇なのか、喜劇なのか、私には全く解らないことである。