2016/12/30
2016/12/25
2016/12/24
2016/12/23
2016/12/18
2016/12/11
2016/12/10
2016/12/04
2016/12/03
2016/12/02
2016/11/20
2016/11/19
2016/11/17
2016/11/12
2016/11/05
2016/11/04
2016/11/01
2016/10/29
2016/10/24
今朝
今朝、私の心は弱っていたけれど、窓から見える富士山は、雲一つなく、凛として佇んでいた。
今朝、私の心は弱っていたけれど、外を歩くと鳥たちが静かにさえずっていた。
今朝、私の心は弱っていたけれど、自動販売機で買った缶コーヒーから、異国の匂いがした。
今朝、私の心は弱っていたけれど、コンビニで買ったサンドイッチのレタスが、妙にシャキシャキとしていた。
今朝、私の心は弱っていたけれど、陽光に包まれほのかに体があたたかかった。
私の心は弱っていたけれど、こんなにいろんなことを感じられる。
それは弱っていたから感じられたのかも知れない。
あるいはそれは、まだまだ弱っていなかったから感じられたのかも知れない。
2016/10/07
2016/09/25
2016/09/23
2016/09/22
2016/09/11
2016/09/04
2016/08/21
2016/08/14
2016/07/21
2016/07/20
2016/07/10
2016/06/26
音楽と建築と文様
最近妻がアラベスクでアクセサリーを製作しております。
製作を通してアラブ音楽との関連性について検証しているようです。
たまたま私が、設計している建築用に日本の草木文様を作図をしていた為、アクセサリー製作の下絵となるアラベスクも作図することになりました。
文様の写真等を見ながら幾何学的なルールを把握し作図することで、様々な事を考えさせられています。
しばらくは夫婦揃って、音楽と建築と文様における、日本とアラブの差異と同一について、思いを巡らすことになりそうです。
製作を通してアラブ音楽との関連性について検証しているようです。
たまたま私が、設計している建築用に日本の草木文様を作図をしていた為、アクセサリー製作の下絵となるアラベスクも作図することになりました。
文様の写真等を見ながら幾何学的なルールを把握し作図することで、様々な事を考えさせられています。
しばらくは夫婦揃って、音楽と建築と文様における、日本とアラブの差異と同一について、思いを巡らすことになりそうです。
2016/06/20
2016/05/24
2016/05/09
子供用の合板椅子
GWを利用して、恩師が設計した子供用の合板(ベニヤ)椅子を製作しました。といっても墨出し以外はお世話になっている大工さんの力をお借りしました。ディテールは私自身で調整して、合板という工業的に制御され、方向性や狂いが少ない材料を、3×6サイズ1枚で、金物や接着剤を一切使用せず組立・解体が容易に出来ることをコンセプトにしました(恩師がどのようなコンセプトで設計されたかは把握していません)。また同じ仕組みでアールトのスツールと同寸法の合板スツールもオリジナルで作成してみました。合板という材料を使用した椅子ではイームズのLCWなどがあり、座り心地では当然LCWに軍配が上がりますが、恩師の設計の方がある意味合板という素材の本質を突いているかも知れません。完成した後で思い立ち、我が家にある木製の椅子たちを並べて記念撮影。北欧のデザイナーズチェアから大のお気に入りである宇納さんのエンフィールドセッティや、ラオスの民家でもらった竹製の座椅子、段ボール椅子など、どれもそれぞれの素材、構造、加工技術と真摯に向き合い、人間が座ることを考えた、素晴らしい椅子たちだと思います。学生時代から集め出したこの椅子たちを、いつか息子たちに譲るのを楽しみにしながら、大切に育てていきます。
2016/02/13
2016/01/25
ハンス・コパー
「王朝誕生以前のエジプトの器、私の手の大きさでやや卵形の:何千年も前に、おそらく奴隷の手によって作られ、色々な意味で生き抜いてきた。つつましく無抵抗で、どことなくこっけいなーしかし力強く神秘的で官能的だ。
何かを伝えるのではなく、自己表現をするわけでもないが、しかし作り手とその生きた時代の人間世界を内包し映し出しているように見える。微かな力で、そして敬意を込めて。「人間」によって作られた完璧に無駄のない物体。ジャコメッティの人物像。バックミンスター・フラーの人間。普遍のもの。
私を真に魅了したのはこの器だけだ。それは私が器を作る理由ではないが、しかしそれは人とは何かをかいま見せてくれる。
私の関心は、実験や探検にあるのではなく本質を引き出すことにある。ろくろは簡潔さを要求し限界を決定づけ、勢いと連続性を与える。単純なテーマで連続したヴァリエーションを作ることに集中する時、私はその工程の一部になっていく。私は今ーこのすばらしい世紀にー存在するという体験に共鳴しうる感度を持った道具を学び始める。
その目的と機能に関してはあいまいに語られるクラフトというものに取り組む時、人は不条理に直面することがある。まるで取り憑かれたピアノ調律士のように、何よりもまず幻の絶対音程に近づこうとするのだ。そして消え去ってしまう見せかけの理念に逃避しがちだ。しかしそれでもなお、習慣となった仕事は残る。人は現実に取り組む。」(トニー・バークス著『ハンス・コパー』より)
何かを伝えるのではなく、自己表現をするわけでもないが、しかし作り手とその生きた時代の人間世界を内包し映し出しているように見える。微かな力で、そして敬意を込めて。「人間」によって作られた完璧に無駄のない物体。ジャコメッティの人物像。バックミンスター・フラーの人間。普遍のもの。
私を真に魅了したのはこの器だけだ。それは私が器を作る理由ではないが、しかしそれは人とは何かをかいま見せてくれる。
私の関心は、実験や探検にあるのではなく本質を引き出すことにある。ろくろは簡潔さを要求し限界を決定づけ、勢いと連続性を与える。単純なテーマで連続したヴァリエーションを作ることに集中する時、私はその工程の一部になっていく。私は今ーこのすばらしい世紀にー存在するという体験に共鳴しうる感度を持った道具を学び始める。
その目的と機能に関してはあいまいに語られるクラフトというものに取り組む時、人は不条理に直面することがある。まるで取り憑かれたピアノ調律士のように、何よりもまず幻の絶対音程に近づこうとするのだ。そして消え去ってしまう見せかけの理念に逃避しがちだ。しかしそれでもなお、習慣となった仕事は残る。人は現実に取り組む。」(トニー・バークス著『ハンス・コパー』より)