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2016/12/18

千利休

稽古とは一より習ひ十を知り
十よりかへるもとのその一

2016/01/25

ハンス・コパー

「王朝誕生以前のエジプトの器、私の手の大きさでやや卵形の:何千年も前に、おそらく奴隷の手によって作られ、色々な意味で生き抜いてきた。つつましく無抵抗で、どことなくこっけいなーしかし力強く神秘的で官能的だ。
何かを伝えるのではなく、自己表現をするわけでもないが、しかし作り手とその生きた時代の人間世界を内包し映し出しているように見える。微かな力で、そして敬意を込めて。「人間」によって作られた完璧に無駄のない物体。ジャコメッティの人物像。バックミンスター・フラーの人間。普遍のもの。
私を真に魅了したのはこの器だけだ。それは私が器を作る理由ではないが、しかしそれは人とは何かをかいま見せてくれる。

私の関心は、実験や探検にあるのではなく本質を引き出すことにある。ろくろは簡潔さを要求し限界を決定づけ、勢いと連続性を与える。単純なテーマで連続したヴァリエーションを作ることに集中する時、私はその工程の一部になっていく。私は今ーこのすばらしい世紀にー存在するという体験に共鳴しうる感度を持った道具を学び始める。
その目的と機能に関してはあいまいに語られるクラフトというものに取り組む時、人は不条理に直面することがある。まるで取り憑かれたピアノ調律士のように、何よりもまず幻の絶対音程に近づこうとするのだ。そして消え去ってしまう見せかけの理念に逃避しがちだ。しかしそれでもなお、習慣となった仕事は残る。人は現実に取り組む。」(トニー・バークス著『ハンス・コパー』より)

2015/10/28

畑聰一

芹沢君も次のステップへと踏み出したようですね。一貫した行動を期待しています。また、若さには魅力と未熟さが同居しています。冷静に思慮深く行動することです。周りに100人いたら彼らはすべて自分と同じ人格と力とをもってそれぞれに人生を歩んでいると考えなければなりません。侮ってはなりません。また、謙虚さは最大の美徳で、人を惹きつけます。(就職を決めた時に恩師から頂いた言葉)

2015/09/21

村上春樹

小説家という種族は(少なくともその大半は)どちらかといえば後者の、つまり、こう言ってはなんですが、頭のあまり良くない男の側に属しています。実際に自分の足を使って頂上まで登ってみなければ、富士山がどんなものか理解できないタイプです。というか、それどころか、何度登ってみてもまだよくわからない、あるいは登れば登るほどますますわからなくなっていく、というのが小説家のネイチャーなのかもしれません。(p24)

しかし僕の経験から申し上げますと、結論を出す必要に迫られるものごとというのは、僕らが考えているよりずっと少ないみたいです。(p113)

「この人たちは総体(マス)として、僕の作品を正しく受け止めてくれている」ということです。(p259)

エイブラハム・リンカーンはこんな言葉を残しています。「多くの人を短いあいだ欺くことはできる。少数の人を長く欺くこともできる。しかし多くの人を長いあいだ欺くことはできない」と。小説についても同じことが言えるだろうと僕は考えています。時間によって証明されること、時間によってしか照明されないことが、この世界にはたくさんあります。(p282)

しかし僕の小説に対するアジア諸国の読者の反応と、欧米諸国の読者の反応のあいだに少なからぬ相違が見受けられるのも、また確かです。そしてそれは「ランドスライド」に対する認識や対応性の相違に帰するところが大きいのではないかと思います。また更に言うなら、日本や東アジア諸国においては、ポストモダンに先行してあるべき「モダン」が、正確な意味では存在しなかったのではないかと。つまり主観世界と客観世界の分離が、欧米社会ほど論理的に明確ではなかったのではないかと。(p287)

誤解されると困るのですが、土壌そのものに戻るということではありません。あくまでその土壌との「関係性」に戻るということです。そこには大きな違いがあります。外国暮らしから日本に戻ってきて、一種の揺り戻しというか、妙に愛国的(ある場合には国粋的)になる人を時折見かけますが、僕の場合はそういうのではありません。自分が日本人作家であることの意味について、そのアイデンティティーの在処について、より深く考えるようになったというだけです。(p293)

村上春樹「職業としての小説家」スイッチ・パブリッシング

2014/01/01

山口一郎

君が言うような寂しさは感じないけど思い出した
ここは東京
それはそれで僕は生き急ぐな
_____サカナクション「ユリイカ」より

2013/12/16

寺田寅彦

単調で荒涼な砂漠の国には一神教が生まれると言った人があった。日本のような多彩にして変幻きわまりなき自然をもつ国で八百万の神々が生まれ崇拝され続けて来たのは当然のことであろう。山も川も木も一つ一つが神であり人でもあるのである。

2013/11/21

堀部安嗣

空調設備や仕上げの材料や建具や家具といった二次的三次的な措置によって、建築は表層的にどんどん快適にすることができる。けれども一次的な快適性に欠けた建築あるいは一次的な快適性を生かしていない建築は、どうも生命感と魅力に乏しく、飽きが早く来てしまうような感じがする。

2013/11/17

岡潔

漱石が死ぬ前に芥川にあてて書いた手紙に、「人は、牛のようにやらなければだめだ。」といっていますが、わたしも、数学を牛のようにやってきたようです。

2013/10/24

岡潔

人生というものは、本当に善く生きようとする者にとってはまことに生きにくいものだと思う。

2013/10/19

ロラン・バルト

強烈な感銘を受けたもの。かつて、決して消えることのない感銘を受けたもの。それはマルクスの次のような考え方であった。「歴史の中では悲劇がときどき再来するが、ただしそれは笑劇としてである。」という考え方だ。

2013/10/14

岡潔

現代は、詩が欠けているんです。

2013/10/13

岡潔

私の父は「日本人が桜が好きなのは、散りぎわが潔いからだ」と教えてくれた。

2013/10/03

村上春樹

「社会的なもの」と「個人的なもの」というのを、あまり意識的に分けていかないほうがいいような気がします。そのふたつは、ある場合にはきわめて相似的なものになりうるのだと、僕は感じています。
_____97/3/21

2013/09/26

岡潔

私は深く考えたい時は、必ず寝床をのべてもらって寝て考える。これはたぶん、もちろん無意識にではあるが、身体の平衡のことに気を散らさないようにするためであろう。

2013/09/06

岡潔

徳川三百年の鎖国時代は、芭蕉及びその一門の俳句、連句を生んだ。私はそれだけで十分存在理由があると思っているが、それ以外にもう一つ、非常に貴重なものを生んでいる。それは伊藤宗看、伊藤看寿兄弟の詰将棋である。

2013/08/22

岡潔

寺田寅彦先生が言うように、ある文章で一字二字を置き換えるというごく些細なものであっても、それが本当に創造であれば、全身に喜びを感じるのである。

2013/07/30

岡潔

一日一日を心から生きるのは創造です。創造とは何も学術上の発見発明や、芸術上の創作ばかりではありません。

2013/07/13

岡潔

西洋文明がリードし、生存競争なしには食べていけないというやり方では、組織が人を押し殺し、機械が人を押し殺す。この道を行けば、やっぱり人類はだめです。

2013/07/02

岡潔

教育は、生まれた子を、天分がそこなわれないように育て上げるのが限度であってそれ以上によくすることはできない。これに反して、悪くする方ならいくらでもできる。だから教育は恐ろしいのである。

2013/05/20

フランツ・カフカ

平均化はただしい、おそらくは。だが、ゆきすぎた客観化は、あらゆる生の可能性を断ってしまう。
_____『断片』より