2009/10/26

メスキータ

ネパール・サッレ村の住居

堀部安嗣

ほしいものはかたちではない。
ほしいものは静かな光で満たされた、ゆったりとした時間。
ほしいものは自然と人の営みとの調和のとれた関係。
ほしいものは、「ここに居ることができる」と感じられる状態。
_____「form and imagination」より

新米や母に握られ我が口に

ラジオ体操

毎朝8時に職人達と一緒にラジオ体操をしている。
急な坂を上がった高台に位置するここからは、山と校舎と空以外は視界に入らない。
ある日大きく息を吸いながら胸を反らす時にふと空を見上げると、いつも同じ時間に同じ方向へ飛行機が飛んでいるのに気づいた。
それは東から西へ向かっており、富士山の上を音もなく通り過ぎていく。
おそらく羽田空港か成田空港から関西方面、もしくは海外へ向けて、勢い良く出発したばかりの飛行機であろう。
かつて私はその飛行機に乗って海外へ何度も出掛けた。飛行機の中から大地を見下ろしていたあの当時は、日常の世界から解放される喜びに充ち満ちており、そこにラジオ体操をしている人たちがいるなど知る由もなかった。その姿は蟻より小さいのである。
今後あの飛行機に乗るようなことは無いかも知れない。
そう思うと急にあの日常からの開放感が恋しくなるものである。
しかし飛行機に乗った鳥のような私と、地面で這いずり回る蟻のような私の、どちらが良いかは誰にもわかるものではない。当然それを問うことなど全く意味のないことである。
私にとって意味があるのは、その両方の目を経験することが出来たということであり、大切なのはその両方の目を持ち続けて居られるかということではないだろうか。
そんなことを考えていると、もうそこには飛行機はなく、蟻のように見えていた私自身は、元の等身大の人間に戻っていた。
そして山と校舎と空だけが、変わらずに存在していた。

2009/10/19

秋野不矩美術館

自宅の柿の木

井上靖

若し原子力より大きい力を持つものがあるとすれば、それは愛だ。
愛の力以外にはない。

流星を覆う睡魔の鰯雲

携帯電話

8月末から新しい携帯電話を使用している。
中学三年から高校一年になる春休みに初めて携帯電話を持った時の感情はもう忘れてしまった。
私はこれまでに6台の携帯電話を使用してきた。どの機種にも愛着を持っていたが、計算すると2年に一度のペースで機種変更してきたことになる。
1台目はデザイン・機能性ともに良いモノではなかった。当時は何より携帯電話というツールを手にした喜びで一杯だった気がする。
携帯電話を持つ喜びに慣れた2台目以降から、私なりに気に入ったデザインの機種を使用したいという欲が出てきた。
中でも5台目の機種には愛着があり、それは当時最も小型な機種であった。これ以上小さくすることは出来ないだろうという限界点に、私は美しさを感じ、小さな画面と小さなボタンに身体が馴れるのを楽しんでいた。
そんなお気に入りの機種とは、携帯電話会社の都合という外的要因により突然別れることとなった。
そんな外的要因がそうさせたのか、私は現在使用している機種をこれまで意識していたデザイン性など全く考慮せずに購入してしまった。
さらにサイズも以前の倍程になり、私の身体感覚と美的感覚は完全に狂ってしまった。
そんな望まれない出会い方をした不幸な機種であったが、今ではその大きさにすっかり馴れてしまい、以前の携帯電話のボタンは小さすぎてとても押しづらいと感じる自分に最近気づいた。そして愛着も少しづつ芽生えてきている。
モノと身体と感情の複雑な因果関係は、こんなところにも現れるのである。

2009/10/12

アルベール・カミュ

ある町を知るのに手頃な一つの方法は、人々がそこでいかに働き、いかに愛し、いかに死ぬかを調べることである。
_____「ペスト」より

朝冷えを独りで背負う駅の猫

クモの巣

毎朝7時前に母親の母校である中学校へ通っている。
そこは今私が関わっている建築現場である。
現場事務所の鍵を開けるため階段を上ろうとすると、うつむき加減の私の頭に大きなクモの巣が絡みついた。
またやってしまったと思っても時は既に遅い。私はいつもこの瞬間にクモの巣の存在に気づかされるのである。
このクモの巣はなかなかのくせ者で、連日巣を張っている時と、数日間巣を張らない時がある。その不規則なリズムは何か私に不吉な暗示をもたらしているのではないか。そんなことを考えるようになった。
それにしても、毎朝私に取り払われてしまうにもかかわらず、どうしてこのクモは毎回同じ階段の上がり口に巣を張るのであろうか。
まさか私を捕らえようとしているわけではあるまい。
そうなるとやはり、私に何かを伝えようとしているとしか考えられないが、それはクモ本人に聞かなければ永遠にわからないだろう。
ただひとつわかっていることは、この私とクモの不思議な関係を知る人は誰もいないということである。

国道246号線(御殿場)

白の家


2009/10/05

有楽町の高架沿い

御殿場の自邸(計画案)

鈴木秀夫

分布の成立の「原因」とその「時」を探るという問題が、諸学に共通して残された巨大なテラインコグニタであること、またその問題の面白さが理解していただけたならば、嬉しいと思う。
そしてもしこの書物に多少なりとも共感を持っていただけたとするならば、それは砂漠的な思考を共有しておられることだと思う。
_____「森林の思考・砂漠の思考」より

台風

伊勢湾台風に匹敵する、非常に強い台風が直撃すると予報されていた、10月8日の朝。
私は車で国道246号線を走っていた。
本格的に台風が直撃する少し前で、風が湿気を孕み縦横無尽に吹いていた。
車の窓は閉め切り、耳に付けたイヤホンからはsalyuの「ROSE」という曲が流れる。
すると私の心は窓の外の景色と離れ、内側に、深く、深く入り込んでいく。
そこには外の台風など入る隙間もない。
ふとイヤホンを外してみた。
そして窓を全開にした。
風が私の体の中にまで浸みこんでくる。
耳には雨と風と木々とタイヤの狂想曲が流れる。
私はやはり台風の中を時速80kmで走っていたのである。
心は窓の外の景色と一体となり、外側に、広く、広く入り込んでいく。
たった一枚のガラスが、私を取り巻く世界を一変させてしまうのである。
その日の夕空は、台風に洗われ、いつもより赤く染まっていた。

秋の夜給与明細落ち拾う