2009/07/27

草薙や頭の熱と丘の夏

今和次郎

われわれは各自、習俗に関する限りのユートピア的なある観念を各自の精神のうちにもち、そして自分としての生活を築きながら、一方で世間の生活を観察する位置に立ちうるのだと告白をしたくなるのである。

部屋のカビ

私の部屋に最近カビが生えてしまった。
カビの発生場所は北側の窓付近とクローゼットの中である。鞄やジャケット、敷き布団や竹製のスツール、手織りの布や建築模型などに、白から緑のグラデーションとなったカビが点状に付いていた。
元来私の住む御殿場市は霧の発生量が多いことで知られている。
御殿場市とそこから約25km離れた海沿いの沼津市における7月の気象状況を比較すると以下の通りである。(資料は平成2~6年の平均値。提供は御殿場市・小山町広域行政組合及び沼津市消防署。)
御殿場市/晴日:5.4日。曇日:20.4日。雨日:5.2日。平均気温:22.8℃。総雨量:248.7㎜。湿度:72.6%。霧の発生日:5.8日。
沼津市/晴日:12.6日。曇日:15.4日。雨日:3日。平均気温:27.7℃。総雨量:144.7㎜。湿度:78.4%。霧の発生日:0日。
やはり御殿場市の気象状況で注目すべきは霧の発生日である。沼津市では全くのゼロというのは、容易に理解できることではなく、これには地理学的・気象学的な考察が必要であろう。
そんな御殿場の霧の中で、毎夜窓を開放していたのが、カビ発生の原因だと思われる。
ちなみにカビが生えたモノは、私が研究で滞在した東南アジアにまつわるモノや、そこで身につけていたモノばかりであった。これはもちろんただの偶然である。しかし東南アジアの山村の建築模型にカビが生えて、隣に並ぶスイスの山に建つ住宅模型にカビが生えなかった事は、単なる偶然では片付けられない気がする。

伊勢湾答志島

ハウスインヨコハマ

2009/07/20

暗闇に浮かぶケーキと花火かな

林芙美子

ああ二十五の女心の痛みかな
遠く海の色透きて見ゆる
黍畑の立ちたり二十五の女は
玉蜀黍よ、玉蜀黍
かくばかり胸の痛むかな
二十五の女は海を眺めて只呆然となり果てぬ。
_____「放浪記」より

皆既日食

2009年7月22日に皆既日食が起こった。
皆既日食は、月が太陽と地球との間に来て、太陽面全体が月面で覆われ、日光が完全に遮られる現象である。
日本では実に46年ぶりのことで、今回最も長い時間皆既日食が見られる場所は沖縄諸島であった。次に日本で皆既日食が見られるのは2035年だという。
しかし私は連日報道されている皆既日食のニュースにどうも馴染めなかった。
私は美しいとか神秘的だとかいう感情と同時に、いや、むしろそれ以上に不安な不吉な現象であると感じたのである。
理由は二つある。
一つはそれが全く人間の時間のスケールを越えているためである。人間の時間のスケールを越えるものは時に神話となる。経験として人の人生の間に繋がれる周期にあるもの、例えば一日における昼夜の逆転や、一年における季節の移り変わりや、人の一生における生死などとは違い、皆既日食は周期が長く不規則なため人間の慣習とはなりにくいのである。
もう一つの理由は、皆既日食の瞬間、空が真っ暗になり、気温が5℃ほど下がったことである。明るい空が突然暗黒となり気温が下がるという現象に、皆既日食を知らず、ましてその予測も出来ないようなかつての人間が、恐怖より先に美しいと感じるとは私には思えないのである。
そんな皆既日食よりも、私は毎日の太陽の眩しさや、毎月訪れる満月の美しさに、もっと目を向けた方が良いのではないかと思う。

JA御殿場本店

倫理研究所富士高原研修所

2009/07/13

ブルーノ・タウト

この山(富士山)は、これ以上秀麗な形をもつことができない、―――それ自体芸術品であり、しかもまた自然である。車内の人達は、ほとんどみな私達のように、この山の見える限りいつまでも眺めなまなかった。そうしないのはほんの僅かの人達だけである。

車庫

私の妹はチョコレート色のボディが可愛い、スズキのラパンという軽自動車に乗って、毎日保育園へと向かっている。
私の姉妹はともに保育士である。二つ上の姉は結婚を機に保育士を辞めた。現在は今年で2歳になる息子の子育てに追われながら、新居を構えるため夫と家づくりの勉強をしている。
一方二つ下の妹が保育園で担任をしているのは1歳児たちである。甥と姉夫婦は愛知県で暮らしており、私が甥の成長を見られるのはごく限られた機会しかない。そんな甥の成長を、妹が夕食時に話してくれる園児たちの日常生活での仕草と重ね合わせることは、私の密かな楽しみである。
しかしこの日話題に上がったのは園児たちではなかった。なんでも妹の車によく鳥の糞がかかるのだという。
妹の車は普段我が家の車庫に収められている。
その車庫は桁行4間、梁間2間半で、外壁も屋根もトタン覆われた小さな小屋である。
そのうち桁行1間半は納戸となっており、普段使われない生活道具や、兜やひな人形、鯉のぼりなどが収まっている。
そして鳥の糞がよくかかる部分の真上には太い梁がある。ここに鳥がとまっては、糞を落としているのであろう。
そういえばかつてこの納戸の屋根裏に野良猫が何度も住み着いてしまったことがあった。その猫が子猫を産み出したことに困り、屋根裏は妻壁でふさがれ、それきり猫は来なくなった。
居心地の良過ぎる車庫というのは、なかなか考えものである。

交差点窓の隙間に蝉の声

旧石田家住宅

コアのあるH氏のすまい

2009/07/06

いわさきちひろ

色が変わる宝石なんて、ほんとは人造石なのでしょう。
けれど夫の買ってくれたこの石の色が、少しずつ私の手にあわせて、うつっていくのが生きているようで、不思議な気がしているのです。
_____「わたしのえほん」より

ボルネオ島のイバン族

テレビでジャワ島の河川が増水して家屋が浸水し始めているというドキュメンタリーが放送されたという。
原因は森林や、水上を彩るマングローブの急激な減少らしい。
この時期に頭の毛の薄い人を見ていれば、皮膚から吹き出した汗がそのまま額から頬へと流れていくのがわかるであろう。現在のジャワ島に起こっていることはその現象の尺度を人間の頭から一つの島へと広げた話である。
ただ、人間の頭皮には家屋もなければそこに住む生物もあまりいないようである。さらに流れた汗はタオルで拭えばすぐ解決される。また、人工植毛というものがこの流れ出る汗を食い止めてくれるのか、そして自然増毛というものが医学的に可能なのかは、興味深い問題である。
私が2007年の7月から8月にかけて訪れた、マレーシア・ボルネオ島に住むイバン族の村では、森林減少の二つの大きな要因を目の当たりにすることができた。
それは焼畑農業と森林伐採業である。この二つは彼らの重要な生業となっている。特に森林伐採業は、現在私たちが住む木造住宅の柱や梁として利用され、我々と全く無関係ではない。
私と仲間が村から去る時、イバン族の人たちは数十メートルある川の対岸から泳いで追いかけてきてくれた。我々はそこで涙の抱擁をし、最後の別れをすることができたのである。
もしあの時川が増水していたら、今もこの胸に残っている感動は、なかったかも知れない。

床を這うそよぐ涼風水はらみ

オビドスの城壁

林芙美子自邸