2009/04/27

吉村順三

良い悪いとか、好き嫌いは別にして、その作品に品があるということは非常に大事なことで、真に芸術的なものを一言で表現しようとすれば、「品」ということに尽きると思う。

世田谷の大家さん


私が世田谷に住んでいた時の話である。

壁を共有した隣の家に、大家さんが住んでいた。
大家さんは80代の女性で、子供達は既に巣立ち、夫に先立たれ、現在は独りで暮らしている。
彼女は世田谷の閑静な住宅街に一軒家を持ち、趣味は油絵と庭いじりという、品の良い女性であった。
私は普段家に居ることが少なかったが、休日に何度か大家さんの庭いじりの手伝いをしたことは大切な思い出である。
ある冬の夜、大家さんは、娘に年末年始は娘の家で過ごさないかと誘われていることを、私に話してくれた。
しかし大家さんは、自分がもう年なので、これまで暮らしてきた家でゆっくり過ごしたいとも漏らしていた。
そして寒空の下、白い息を吐きながら、大家さんは私に一句詠んでくれた。
「独り居の 湯浴みの窓や 冬銀河」
次の日の朝、私は大家さんの浴室の窓から明かりが洩れ、湯気が上がっているのを想像しながら、家を後にした。

三輪の異国のツツジ髪を梳く

庄内地方の民家(菅原家)

信州地方の民家

2009/04/20

食卓の背伸びを誘う春の風

東山魁夷

フィンランドには雲にとどく山はない。
湖と森の重なりが雲にとどくと云われている。
それはこのような眺めを云うのであろう。
六万の湖と国土の大半を蔽う森。
フィンランドの人はその国をスオミ(湖の国)と呼んでいる。

ゴミ出し


朝、ゴミ袋を両手に抱え収集所へ行くと、道路を挟んで斜め向かいの家に住む男性が、私を母と間違えた。

昼、田を鍬で耕していると、田を挟んで向かいの家に住む女の子二人が、私を母と間違えた。
これらから察するに、外見において私は母に似ているようである。
それでは両親から遡り、祖父母の中では誰が私と似ているのであろうか。
ともに住んでいる父方の祖母とは少し違う気がする。
隣町に住む母方の祖父とも違う気がする。
父方の祖父は私が3,4歳の時に亡くなった。居間の窓越しに眺めた祖父の後姿が、最初で最後の記憶である。
母方の祖母は、両親が結納を済ませた一週間後に亡くなったと聞いている。
比較対象としては、後の二人はあまりに私と共有した時間が短い。
しかし私は何故か、その二人に強く惹きつけられてしまうのである。
私はその二人に似ているのではないかと。
今あるカタチは、今ないカタチによって築かれているのかも知れない。

富士山

東山の家

2009/04/13

萩原朔太郎

ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだをたれ、
いまはや懺悔をはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどき青きもの地面に生え。
_____「竹」

東南アジアと瀬戸内海


かつて、インド大陸がユーラシア大陸に衝突した際に、せり上がったヒマラヤの東部分がはみでるようにしてできあがったのが、現在の東南アジア大陸部の原型である。

そんなラオスやタイの山地は、何度訪れても独特なものであると、私の眼には映っていた。そこでの人々の生活や住まいにおいても同様である。
しかしタイのとある山地民の村で朝を迎えた時、一緒にいた中国地方出身の二人が、眼下に広がる雲海と朝やけを前にして「瀬戸内海のようだ」と言った。
その後私は初めて広島へ訪れた。そこで私が見たのは、紛れも無く東南アジアの山々であった。
ある民俗学者によれば、山深いところ、すなわち九州山脈のひだひだ、四国山脈の谷間、中国山脈の北斜面、紀伊山脈・飛騨・白山の周辺、関東山脈の周辺、奥羽山脈の両側にはひろく焼畑がおこなわれ、夏のあいだは山小屋ですごし、冬には里へ下ってくる生活をくり返していたという。
そしてラオスやタイの山地民は、今でも焼畑をおこなっている。
また瀬戸内海に浮かぶ宮島は、昔から神の島として崇められていた。そのため推古元年(593)に、御社殿である厳島神社を海水のさしひきする所に建てたといわれている。
東南アジアの山地民の多くも、山の精霊に寄り添うように村や家を立地させる。
瀬戸内の海が、もし雲だったら。
そのように思いを馳せると、急に、東南アジアの山地民に近づいたような気がした。

菜種梅雨不意に雨戸の乾いた音

イームズ自邸

本棚

2009/04/06

寺田寅彦

棄てた一粒の柿の種
生えるも生えぬも
甘いも渋いも
畑の土のよしあし

仏壇


朝、父は仏壇の前に立ち、二本の蝋燭に灯を点け、線香を一本立て、鈴を三度鳴らして手を合わせる。

祖父が亡くなり家族で故郷へ戻って以来、それは毎朝行われる。
仏間と居間が続き間になっているため、私はいつも隣の居間で朝食を摂りながら、障子越しに鈴の音と微かな線香の香りを感じてきた。
しかし私がそれを意識するようになったのは、長らく故郷を離れてからのことである。
再び私が家族と食卓を囲むようになったある朝、父は仏壇の前に立ち、二本の蝋燭に灯を点け、線香を一本立て、鈴を三度鳴らして手を合わせた。
するとその鈴の音が私の内奥まで響き、手を合わせる時間が永遠にも感じられたのである。
この一些事の中で変わらずに在るのは、仏間と居間と、何であろうか。

黄水仙我に背を向け顔を向け

南の家

御殿場の桜