2014/09/27

2014/06/07

2014/06/06

2014/01/08

伊豆高原の家

設計:堀部安嗣
彫刻:袴田京太朗「ECOH」

ラオスのゲストハウス

外庭型住居圏としての日本の住まい


住環境計画特論レポート2007/07/19

「外庭型住居圏としての日本の住まい」
住環境計画研究室 507055 


今回与えられたテーマに際して、「日本」というキーワードが漠然としているように感じられてならない。今回はその言葉の定義から始めなければ、「日本」の住まいを語ることはできないだろう。それを畑教授のいう中庭型・外庭型住居に照らして考えたい。
畑教授の講義では、チュニジア(中庭)・マレーシア(外庭)・タイ(外庭)・韓国(中庭)・台湾(中庭)の住居及び集落の事例が紹介された。日本から地理的に離れた地域から紹介し、回を追うごとに日本へ近づいていく講義の中で、畑教授が対比する中庭型と外庭型住居の事例が交互に扱われてきたのを印象的に感じる。私はこの課題において、我々自身で日本の住まいを、これまでの事例によって相対化することを問われていると捉えた。では比較対象とするための事例をどう選択したら良いのだろうか。またプレモダンの住居を比較する中で、これからの住まいを語ることができるのだろうか。少なくとも、これまで講義で扱った事例がプレモダンの住まいであるため、日本に関してもプレモダンの住まいを持ち出すのが常であろう。しかし、その住まいの形をプレモダンとして一括りにするには、日本において地域ごと、時代ごとでその住様式が多岐に渡っており、どれか一つを持ち出し、それを日本の住まいとしてしまうことに疑問を覚える。宮本常一氏によれば、かつては土間住まいと床住まいの家が別々に存在していたり、土間と床が一つの家屋に併存したりと、同じ日本でも家屋の形式は異なって存在してきた。また、日本のプレモダンの家屋を語る上で、よく「客間」の存在が挙げられるが、家々が客間として座敷をもつに至るには、生活の向上と変化があったとされている。それは一般民家が客を迎えなければならぬ行事を多くもつようになったことに原因し、座敷をもつことによって一人前の村つきあいができることになるのである。民家へ座敷が浸透するのは室町時代以後と見られており、それまで神のまつりを庶民の家でおこなうことはすくなかった。つまり、客間とて日本のプレモダンに共通する空間言語とは言えないのである。
これまでに挙げたような日本の住居の多様性は畑教授が挙げた海外の事例地域においても同様な事が言えるだろう。しかしそれは畑教授が、引用している鈴木秀夫の論に依っていることを理解すれば、これまでの講義で扱った事例が気候分布(地理的条件)と文化圏(思考的条件)によって捉えられ、地域を区切る便宜上の概念として、国名が挙げられているに過ぎないことがわかる。そしてそのように日本をみると、鈴木氏がいうように日本が森林的思考の気候分布・文化圏に属しており、日本におけるプレモダンの様々な住居を一括りに「外庭型」と位置づけられることがわかる。つまり中庭型・外庭型と対比させて述べる際には、「日本」という枠組みを越えて、風土と文化の領域で捉えることが重要である。現代のグローバルな社会においては、そのようなものの見方をしないと論点を見失う可能性があり、「日本」ではなく「外庭型住居圏」として考えなければならないだろう。
一方で、森林的思考をもつ日本において、思想の砂漠化が起こっていると鈴木氏は述べている。これは西洋文明の流入による「進歩」思想であると同氏はいう。もともと森林的思考・砂漠的思考というものは、かならずしも森林に住むか砂漠に住むかによって分かれるのではなく、森林的思考(たとえば仏教)の中に育ったか、砂漠的思考(たとえばキリスト教)の中に育ったかということによるもので、自然→思考様式→人間、すなわち、自然によって生まれた思考様式をうけ継ぐことによって人間が自然にかかわっているのである。しかも思想は、それ自身の論理の力によって動くため、かならずしも現在の自然環境と対応して、森林的思考と砂漠的思考が存在しているのではなく、むしろその起源は、5000年前の砂漠化によって一神教が確立された時にあると言われる。しかし畑教授が挙げた事例においては、中庭型住居が砂漠以外の土地に存在する例はある(台湾の三合院)が、外庭型住居が砂漠地帯に流入している例は見られない。
砂漠的思考はヨーロッパ文明の拡大とともに急速に地球の上に拡がってきて日本でも思想の砂漠化が進行してきている。70年代から盛んに叫ばれている、地球そのものが「有限」であるという科学的な事実は、もはや砂漠的なキリスト教的世界観を越えて、全世界的に広まっているようにみえる。私が調査に参加したラオスのアカやモンの事例においても、政府によって焼畑農耕を規制され、地球環境保護という大義名分のために彼らの世界観が崩されてきている。これまで森林的思考=無限世界に生きてきた人々に対して、砂漠的思考=有限世界というコペルニクス的転回を強いられているのである。
また講義の中の事例において、外庭型に比べて中庭型住居の強固な環境形成作用を読み取った。具体的には中庭型住居に分類される台湾の三合院住居における理想風水の形象である。これにより立地場所から解放され、平坦地であろうと、また砂漠であろうとジャングルのなかであろうと、華僑の進出とともに拡がることができたのに対して、タイの山岳民族においては、それぞれが民族ごとの慣習に合った地形に立地することで、外庭型住居を成立させている。この二つの事例の対比によると、中庭型住居は地理的条件に左右されずに、住居によって自ら理想的な自然環境を創り出すことができるが、外庭型住居は、自然的条件が彼らの理想像と整合する場所へ集落を立地させないと、生み出すことが困難な形式であると捉えられる。

これらを通して私は、思考形式としても住居形式としても、砂漠的思考と中庭型住居が、風土を越えて拡がる可能性が高いものであり、森林的思考及び外庭型住居が、風土から切り離し難いものであると位置づける。
参考文献 鈴木秀夫「森林の思考・砂漠の思考」NHKブックス
宮本常一「日本人の住まい」農文協

2014/01/01

大晦日忙しき家族と我が心

山口一郎

君が言うような寂しさは感じないけど思い出した
ここは東京
それはそれで僕は生き急ぐな
_____サカナクション「ユリイカ」より

建築家の変化

私が建築に対する考え方に迷った時、必ず思い出す建築家と、その建築家がつくった建築がある。
それは、建築が私の概念や欲望によって歪んで見えてくるのを自制してくれる役割を常に果たしてくれている。
私の建築観は、その建築家の言葉を借りれば「建築はその土地から生まれる」ということであり、「国破れて山河あり」という言葉における「山河」側に建築を属させるということである。国や国境といった人間の概念や欲望が消えた時に、山や川の自然はいつもの美しく懐かしい姿で変わらず存在している。そんな「第二の自然」としての建築を求めているのだ。
しかし、最近の文章でその建築家はさらに考えを進めていた。
「「国破れて山河あり」まさにその状態では建築も姿を消した状況なのではないだろうか。そしてこの言葉で最も重要なことは、「国破れて山河あり」の光景を眺め、人の儚さと自然の美しさをまさに感じた「人」が存在しているという点だ。」
「建築は第二の自然ではなく、人間にとっての第二の身体になるべきということが見えてくる。つまり人は己の肉体だけでは自然の中では生きていけず、己の肉体の不完全さを補うために建築が必要なのだ。人が求めるものは人の体温、人の気持ち、人の眼差し、人の希望、人のスケールを持ち、人に寄り添い、歩調を合わせてくれる親しみを持てる建築なのだ。」
これらの言葉は、2011年の東日本大震災の後に生まれたものであろう。普段あまり時世に左右された言葉を用いない建築家だけに、私には重く圧し掛かっている。
2013年には息子が誕生した。これからは彼を通じて、「国」や「山河」や「人間」や「建築」について考えていけたらと思う。