2009/04/13
東南アジアと瀬戸内海
かつて、インド大陸がユーラシア大陸に衝突した際に、せり上がったヒマラヤの東部分がはみでるようにしてできあがったのが、現在の東南アジア大陸部の原型である。
そんなラオスやタイの山地は、何度訪れても独特なものであると、私の眼には映っていた。そこでの人々の生活や住まいにおいても同様である。
しかしタイのとある山地民の村で朝を迎えた時、一緒にいた中国地方出身の二人が、眼下に広がる雲海と朝やけを前にして「瀬戸内海のようだ」と言った。
その後私は初めて広島へ訪れた。そこで私が見たのは、紛れも無く東南アジアの山々であった。
ある民俗学者によれば、山深いところ、すなわち九州山脈のひだひだ、四国山脈の谷間、中国山脈の北斜面、紀伊山脈・飛騨・白山の周辺、関東山脈の周辺、奥羽山脈の両側にはひろく焼畑がおこなわれ、夏のあいだは山小屋ですごし、冬には里へ下ってくる生活をくり返していたという。
そしてラオスやタイの山地民は、今でも焼畑をおこなっている。
また瀬戸内海に浮かぶ宮島は、昔から神の島として崇められていた。そのため推古元年(593)に、御社殿である厳島神社を海水のさしひきする所に建てたといわれている。
東南アジアの山地民の多くも、山の精霊に寄り添うように村や家を立地させる。
瀬戸内の海が、もし雲だったら。
そのように思いを馳せると、急に、東南アジアの山地民に近づいたような気がした。