朝、私は携帯電話が振動して目覚めた。
私は友人からのメールを返信すると、急に一句詠まねばという思いに駆られた。
慌てて頭の中から季語を探したが、浮かんだのは昨夜緑道で出会った二輪の桜のみであった。
季語を探すという行為には、何か私の身体に重大な感覚を呼び覚ます効果があるようだ。
ある学者の説によって、試みに俳句を取り扱ってみると、叙景の句は以下のようになると、ある詩人は言う。
それは十七字の中に自分の欲する景色を再現するだけではいけなくて、その景色の中へ自分が飛び込んで、その中でダンスを踊らなくてはならない、と。
身体の動かし方にも、様々な方法があるものである。