2011/01/03

お弁当の箸

私は毎朝6時半前に家を出ている。
私が「行ってきます」と言う少し前に、いつも母が慌てて包んだ弁当箱と、レモンティーの入った水筒を渡してくれる。
母の作る弁当は高校生の頃から変わっていない。
それはおにぎりとタッパーに入れた少しのおかずという組み合わせで、当時私がそうして欲しいと希望したことから始まった。
この弁当の利点は、おにぎりを食べるとその分弁当の嵩が減ることである。また、早弁や遅弁にも自由に対応できるところがとても気に入っている。
ちょうど1年ほど前のとある朝も、私は変わらず母からそっけなく弁当を受け取り、ろくにお礼も言わず車へと乗り込んだ。
そして昼になり、弁当の包みを広げると、そこにはいつもとは違う箸入れが添えてあった。
それは普段の半分ほどの長さであった。中を開けると箸の柄が二つに分かれ、つなげて使うタイプのものであることがわかった。
誰が言った訳でもないのに、母は食後に自然とコンパクトになるこの弁当の利点を察し、買い換えてくれたらしい。
次の日、母がいつものように弁当を渡してくれた。
私は母に聞こえないように小さな声で、「ありがとう」と言って家を出た。
それから一年経った今、その箸のつなぎの部分は、摩耗して柄がすぐに取れてしまうようになってしまったが、私の「ありがとう」という言葉も、同じように摩耗しているのだろうか。